明滅する一筋の光が我々にみせたもの ~木下一彦さんの追悼に代えて~

間もなく三ヶ月が過ぎようとしていますが、早稲田大学の木下一彦教授が南アルプスで遭難されお亡くなりになられたとの、余りに突然のニュースに正直驚きを禁じ得ません。いまはただ謹んで哀悼の意を表すとともに、御家族さま並びに関係者の皆さまにはお悔やみを申し上げます。

木下さん(ここでは敢えて先生でなくそう呼ばせて頂こうと思います)の科学者としての業績に触れる際に、当初の報道にもみられたように回転するF1-ATPaseのサブユニットの成果が取り上げられることが多いかと思います。そこでここでは敢えて、少し違う角度から木下さんの業績を紹介してみようと思います。私などが追悼などと言うのも甚だおこがましいのですが、より多くの方に生前の木下さんの業績の違った一面を知っていただけると幸いです。

 

ここで紹介する論文は、Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America へと掲載された"Axial rotation of sliding actin filaments revealed by single-fluorophore imaging"という論文です。件のF1-ATPaseの論文がNatureのレターとして掲載されたのが1997年3月ですが、その直後の5月に出版されました。

実験としては、それまでのin vitro motility assay系を改良し、アクチン単量体に対して1/500という少ない量比の蛍光分子でアクチンフィラメントを修飾し、カバーガラスに吸着固定したミオシン上で滑り運動を行わせた像を滑走するフィラメントに対して45°をなすそれぞれ直交する偏光板を通して観察した結果、直交する偏光像が交互に明滅を繰り返す様子が得られたというものです(実際に明滅する様子は早大木下研の動画サイトで見ることが出来ます)。この実験には、当時慶応大学の木下研で改良された、バックグラウンドの蛍光を二桁低減させた蛍光顕微鏡が用いられました。 この結果は、ミオシン上を滑走するアクチンフィラメントが滑りながら同時に回転していることを意味し、その回転はおよそ1μm進むごとに一回転と、約72nmで1周期のらせんを形成するアクチンのピッチに比べて長く、ミオシンはアクチンのフィラメント上を「歩く」と言うより「走る」と言うのが相応しい、と結論付けておられます。

これだけではこの研究成果の意義が理解され難いと思いますので、この研究に至るまでの筋収縮研究の歴史を簡単に振り返ってみようと思います。

 

1950年代に筋肉の収縮単位であるサルコメア構造の電子顕微鏡による観察が行われ、これらを元に筋収縮はミオシン分子が重合した太いフィラメントと主にアクチンが重合したアクチンフィラメントがそれぞれ互いに滑り込むことで生ずるとする「滑り説」が提唱されます。

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電子顕微鏡による筋肉の収縮単位であるサルコメアのイメージ(上)と収縮の模式図。

若き日の木下さんを生物学の研究へと駆り立てたのも、この電顕写真だったとのことで、「一目で分かるという明快さ」に惹かれたのだそうです(参考:私の生物物理学)。尚、先のリンクに登場する物理学科卒業間近の木下さんにその電顕写真を紹介したI氏とは、この論文における共著者でもあり、その他多くの共著論文を残されている同じ早稲田大学物理学教室の石渡信一教授に他なりません。

 さて、筋肉のフィラメントが互いの間に滑り込むことで筋収縮が起こるとして、それがどのようなメカニズムによってなされるのか?という点にその後研究者の関心が集まります。 `50年代から`60年代にかけて、さらに解像度の高い電子顕微鏡写真が得られるようになると、他の生筋のX線回折の結果などと合わせ、アクチンとミオシンの相互作用はアクチンフィラメントとミオシンフィラメントから突き出た「頭部」とで構成される「クロスブリッジ」で起こり、ミオシンのATP加水分解に伴ってこの頭部が首を振りアクチン一つ分手繰ることでフィラメントが滑るとする「首振り説(Swinging Crossbridge Model)」へと発展します。

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ミオシン頭部とアクチンフィラメントからなる「クロスブリッジ」と首振り説の模式図。(H. E. Huxleyのreview article Fig.16を元に作図)

しかし、これらの電子顕微鏡像は観察のために重原子で「(負に)染色」した像であり、たんぱく質が機能する「生きた」状態とは言い難いものでした。これは収縮の単位であるサルコメアでさえ、数マイクロメートル程度でしかなく、光学顕微鏡で詳細に観察するには小さ過ぎることが原因です。そこで登場したのが、観察対象のたんぱく質を蛍光色素で染色することで、たんぱく質が「生きた」状態で観察を可能とした蛍光顕微鏡です。

`84年に大阪大学の柳田らにより、蛍光色素をつけたキノコ毒の分子でアクチンフィラメントを染色することで、一本のアクチンフィラメントを蛍光顕微鏡で観察できることが示されます。これをきっかけに、柳田のグループをはじめとして日米の複数のグループが、たんぱく質加水分解酵素を用いてミオシンの頭部だけをフィラメントから切り離し、この頭部をカバーガラス表面に塗布して固定し蛍光染色したアクチンフィラメントを滴下した後この系にATPを含む溶液を加えると、カバーガラス上をアクチンフィラメントが滑る様子を蛍光顕微鏡で捉えることに成功します。

 


In Vitro Motility Assay of Skeletal Muscle Myosin ...

In vitro motility assayで得られた蛍光顕微鏡像の例

 このin vitro motility assayと呼ばれる実験系を用いた研究は、この後日米の研究グループの間で一つの論争を巻き起こします。まず、柳田らは`85 年にミオシンによるATP一分子の加水分解という化学反応でアクチンフィラメントはどれ程の距離を滑るのか?を意味する「ステップサイズ」を計測し、それが60nm以上と アクチン一つ分の5nmに比べはるかに大きいとする論文を発表します。一方で米のグループからはステップサイズはそれほど大きくないとする、柳田らの結果を否定する論文が提出されます。いわゆる「ルースカップリング」vs.「タイトカップリング」の論争です。

確かに、このin vitro motility assayの系で生きた状態のアクチンフィラメントの滑りを観察できるようになりました。しかし、この論争において決着の決め手に欠いた一因として、滑りの原動力であるミオシンを直接観察することが出来ないという問題が残されていました。これは、アクチンフィラメントはアクチンの単量体が重合して繊維になったものであり、一本あたり数千個の蛍光分子を含むのに対し、ミオシン頭部に付けることの出来る蛍光分子の数はたかだか一つだけであり、その「一つの蛍光分子」を観察することが難しかったことによります。 しかし、木下さんらが検討した結果、一つの蛍光分子が発する光子は当時の顕微鏡でも充分捉えることが可能であることが分かります。問題はむしろ顕微鏡の感度にあるのでなく 、顕微鏡内で散乱された光などによって視野のバックグラウンドが明るすぎることにありました。その様は「昼間に星が見えない」と例えておられます(生物物理 「1個」を見る)。

こうして蛍光顕微鏡の視野のバックグラウンドを明るくする要素を光学的なデバイスを見直すことで改善し、阪大柳田グループとは独立に一つの蛍光分子からの光を捉えることの出来る蛍光顕微鏡を開発しました。 生筋中ではアクチンフィラメントはサルコメアを仕切る膜に固定されていますが、このin vitro motility assayの系においてはフィラメントの端は固定されてはいません。また、この蛍光分子の遷移双極子モーメントは(たまたま)フィラメントの軸に対して約45°であるため、滑走するアクチンフィラメントをその軸に対して45°をなす互いに直交する偏光板を通して観察すれば、回転に伴う一つの蛍光分子からの光の強度の変化として捉えられるはず、という訳です。

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アクチンフィラメントにラベルした蛍光分子の模式図。通常の視野ではどの向きでも蛍光が観察されるが(図左)、偏光板を通した場合は色素分子の回転に応じて縦成分が強くなった場合横成分は弱く、縦成分が弱くなった場合は横成分が強く観察される(図右)。(オリジナル論文のFig. 1を元に作図)

勘の良い方はお気付きかと思いますが、アクチンフィラメントは単量体が重合した繊維ですので、多数の蛍光分子で修飾されたフィラメントでは回転に伴う「向きの変化」を捉えることは出来ません。まさに、この交互に明滅する光は、一つの蛍光分子の観察を可能にしたことで成し遂げることの出来た成果です。また、ATP一分子の加水分解ミオシンがアクチン一つ分を首を振りながら進むのであれば、この系でアクチンフィラメントはそのらせん周期の約72nm毎に回転するはずで、間接的にではありますが、ルースカップリングを支持する結果を意味します。同じく一分子の蛍光観察の系を確立した阪大柳田グループは、ミオシンの一分子観察へと研究を発展させ、論争はルースカップリング側に軍配があがります。

論文の最後は"A future challenge is the simultaneous observation of chemistry and conformational changes in a single protein molecule."(将来的な挑戦は単一のたんぱく質分子における化学と(構造的な)コンフォーメーション変化の同時観察である)との一文で締めくくられています。これはすなわち、「単一の蛍光分子を修飾した酵素などたんぱく質の化学的な反応と構造変化の同時観察」という「一分子生理学」への挑戦の高らかな宣言に他なりません。

実際、この一分子蛍光偏光法はF1-ATPaseの系にも応用され、「大きく目立つ目印」であるアクチンフィラメントに代わり「酵素反応のじゃまにならない小さな目印」として用いられ蛍光標識したγサブユニットが一回転する間に、α,βサブユニットの対称性と同じ120°ごとに3ヶ所のステップを踏むとの結果が得られています。

その後木下さんのグループや同じくこの「一分子生理学」を確立した柳田グループをはじめとした日本の研究グループによって、ミオシンをはじめとしたモーターたんぱく質の一分子観察へと応用され、この分野において日本が世界をリードして来たことをご存知の方も少なくないことでしょう。

木下さんらが確立した一分子生理学は、若き日の木下さんを惹き付けた物理学的な「単純かつ万能な説明」を「一目で分かるという明快さ」として生物学へともたらしました。ここで紹介した論文は、まさにその点において記念碑的な位置を占める論文に他なりません。

 

木下一彦さん、改めて美しい研究成果の数々を有り難う御座いました。どうぞ安らかにお休みください。

 

参考文献など

Axial rotation of sliding actin filaments revealed by single-fluorophore imaging.(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)

Fifty years of muscle and the sliding filament hypothesis(H. E. Huxleyのreview article)

「1個」を見る (生物物理)

Stepping rotation of F1-ATPase visualized through angle-resolved single-fluorophore imaging.(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)

早稲田大学木下研究室(文献や動画へのリンクも)

生物モーターから生物のすばらしさを見る(大阪大学柳田グループの関連する研究の総説的なページ)