あさドラ『#スカーレット』における緋色の研究(その二)

【化合物と色の科学】
その一からの続きです)
周期表を眺めていると多くの元素にもいくつかの分類があり、そのなかに「遷移元素*1と呼ばれる一群があることがわかります。中でも原子番号21のスカンジウム(Sc)から同29の銅もしくは30の亜鉛までは第一遷移元素*2と呼ばれ、鉄、銅、ニッケルなど天然の存在量も多いことから様々な用途に用いられている元素です。

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周期表中の遷移元素。この中でピンク色に当たる部分の元素が遷移元素。(Wikipedia:遷移元素より)

前回、太陽光の連続スペクトル中の吸収線であるフラウンホーファー線に触れましたが、私たちが目にする物体の色の多くはそうして物質に吸収されずに反射された光を見ていることを意味します*3。第一遷移元素は電子軌道の中でも3d軌道と呼ばれる軌道に空の軌道を含むことで様々な物質としての特徴を示すことで知られ、中でも電子軌道の遷移による光の吸収が可視光領域に及ぶために固有の色を示す化合物が多いことが知られています*4。 

この第一遷移元素の中でも鉄は特に地殻中の元素としても四番目に多く、鉱物として析出する赤鉄鉱は鉄鉱石として製鉄の原料として用いられるだけでなく、ベンガラとして加工され陶芸においては有田焼の絵付けを代表に朱の顔料として利用されることでも知られる通りです*5。こうした鉱物や岩石の風化は風雨の直接的な物理的作用だけでなく、雨に含まれる酸や一緒に溶け出したアルカリ金属による化学的作用も受け、溶け出した鉄分は条件によって様々な「錆」を生じ、それが土壌の色を左右しています*6。もっとも原料となる珪砂・長石に含まれる鉄分を強力な磁石で除いてる*7ことから、ある程度の大きさの結晶として存在していると思われます。
かつて『チコちゃんに叱られる』において「なんで鉄はサビびるの?」との問題が出題されました。この答えは「鉄は錆びたがってるから」で酸素が豊富な環境下で安定な酸化物となるのは必然なのですが、その際に物質・材料研究機構さんが作った動画*8の中で、いわゆる「錆」も化合物としては主に四種類からなることが紹介されています。

 更に一口に「酸化鉄」と言っても水酸化化合物なども含め広義な鉄の化合物として16種類存在することが知られています*9。 これらの中でもオキシ水酸化鉄FeOOHは風化した土壌にも含まれ先に述べたように土の特徴的な色をもたらす一つですが、同時に数100℃程度の比較的低い温度で酸化鉄(Ⅲ)へと変化します*10

これらから焼成後の陶器の鉄の酸化物としては、狭義な鉄の酸化物である「酸化鉄」として酸化数の異なる次の状態


Fe2O3=Fe3+2O3:酸化鉄(Ⅲ)いわゆる赤さび(上記ツイート内の4つの化合物のうちの一番左)
Fe3O4=Fe2+Fe3+2O4:酸化鉄(Ⅱ、Ⅲ)いわゆる黒さび(同じくツイート内一番右)
FeO =Fe2+O:酸化鉄(Ⅱ)

を考えれば良さそうです。さて、先に述べたように焼成時の酸化状態で異なる景色となるように、信楽焼の「緋色」、それも黒信楽、赤信楽はそれぞれどの酸化鉄に対応するのでしょう?

【酸化鉄がもたらす色の科学】

たいへん興味深いことに、実際に穴窯を再現し「緋色」の再現を試みた『陶芸における緋色の研究』*11においては、計三回の焼成を行い、信楽の土だけでなく鉄分の多い備前の土を含む異なる鉄分含有量の粘土を用いて酸化、還元それぞれの条件で焼成を行っています。 更にはX線解析として実験室内のX線源を用い、(恐らくは)X線蛍光分析を行い信楽土の試料の緋色とそうでない部位の鉄分の比が3.5倍だったのに対し、備前土の場合は1.5倍程度だった結果が示されていました。すなわち鉄分量としては少ないものの濃淡が大きい信楽焼に対し、量が多いものの濃淡は小さいのが備前焼と言えます。この結果から「緋色」は焼成中に陶器の表面に集まった鉄が冷却時に酸素と結びついて酸化第二鉄(酸化鉄(Ⅲ))で白い素地に対するコントラストとして表出する一方、備前土の場合素焼きの段階で発色しているため、緋色が着いても素地の色と相まって褐色になってしまうことが鮮やかな緋色とならないと結論付けています。

更には緋色の濃淡に対して「量の問題ではなく酸化の程度であろう」と考察しているものの、残念ながらそれを直接的に示すに足るデータはありません。それはこの中で行われているX線蛍光分析は元素の量こそ求めることは出来ても、その元素の化学的状態を知ることは出来ないことにも起因します。 X線蛍光分析法*12は高いエネルギーのX線を物質に照射し、原子の内殻の電子が励起されて生じた空孔に外殻の電子が移って来た際、その軌道のエネルギー差に相当するエネルギーを蛍光X線として放出する現象を利用した分析法です。このエネルギー差に由来する蛍光X線の波長は元素に固有のため、元素の同定やその量の分析にたいへん有効な分析法で、かれこれ20年以上前には、毒物事件に含まれる不純物の量の科学鑑定に利用されたことでも知られています*13

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典型的な波長分散蛍光X線蛍光スペクトル。元素ごとに固有な波長の鋭いピークを示す。(Wikipedia:蛍光X線より)

一方で、シンクロトロン放射光のX線源の利用が一般化したこの20余年の間に、このX線蛍光分析と同様に応用が広まった分析法にXAFS(X線吸収微細分光)分析があります。これは内殻の電子がX線によって励起される際、吸収スペクトルの吸収エネルギー近傍に表れる固有の構造に元素の化学結合や配位状態を反映されることを利用した分析法です*14。その意味でX線蛍光分析もXAFS分析も、共に原子の軌道間の遷移を利用した分析法です。このXAFSによる分析を行えば、陶器の中に含まれる鉄の酸化状態を明らかにすることも可能になるかも知れません。

 このようなシンクロトロン放射光施設は現在国内に複数あり、それらの施設を利用した際に提出する利用報告を当たったところ、流石に信楽の焼き締めではありませんが様々な釉薬に対してXAFS解析を行った報告があり、その中で佐賀県の九州シンクロトロン光研究センターを利用した茨城大学茨城県の笠間陶芸大学校の共同研究に「X線吸収端近傍構造解析を用いた笠間焼鉄釉の発色機構の解明」との2018年度の報告*15を見付けることが出来ました。なお、笠間焼は江戸中期に笠間の名主が信楽から陶工を招いて窯を開いたことが起こりという縁でもあります*16

この研究では青磁釉(鉄分1.2%)と赤鉄釉(鉄分10.6%)を焼成条件を変えて陶器を作成し、その鉄分と焼成条件で得られる色調変化を鉄の酸化状態を通して評価しようというものです。画像の使用には許諾が必要*17になるため掲載できませんが(先の理由からもスクリーンショットなどでの画像の利用はお控え下さい)、焼成条件含め詳しくはリンク先をご覧ください*18。 実験で得られた結果から、まず鉄分の少ない青磁釉の場合はいずれも還元条件ながらその程度と冷却の際の雰囲気によって違いが生じ、XAFSスペクトルも酸化鉄(Ⅱ)のそれに近いものの、若干のずれは酸化鉄(Ⅲ)も微量に存在することを示唆し、発色の違いとして表れていると考察しています。
もう一方の鉄分の多い鉄赤釉では酸化焼成還元焼成の場合では見た目で色合いが異なるようにスペクトルにもはっきりとした違いが見られ、酸化焼成の試料からは酸化鉄(Ⅲ)と還元焼成の試料からは酸化鉄(Ⅱ)と近いスペクトルが得られたものの、やはりどちらかに完全になっておらず酸化焼成の試料にも酸化鉄(Ⅱ)を含んでいるが、酸化鉄(Ⅲ)が多く存在すると赤色に発色する傾向にあると考察されています。

加えて青磁釉の板状試料の実験データから一つの可能性としながらも、還元冷却処理を行った青磁釉試料では表面から内部に向け酸化鉄(Ⅱ)は増加し、酸化鉄(Ⅲ)は減少傾向にあると考察し、この分布に関しては今後の課題として締め括っています。

焼き締めの陶器と釉薬との違いはありますが、この結果は元の素材に含まれる鉄の絶対量に加え焼成によって鉄イオンの移動が起こることで表面から内部に分布が生じ、その後の冷却の際の環境にも依存して酸化状態の異なる酸化鉄が分布することが陶器の色調にも強く影響することを示唆しています。では、この鉄分の移動は何によってもたらされるのでしょうか?

『陶芸における緋色の研究』ではこれを「アルカリ炎」とし、「薪のアルカリイオンに引き寄せられて表面に集ま」るとしています(同34P,同69P)。

しかし、そもそも炎に(Na+やK+などの)アルカリイオンが生じていたら、同時に陰イオンも発生し全体としては中性になっていると個人的には思います。また、二価であれ三価であれ鉄イオンは陽イオンなので、同じ正電荷であるアルカリイオンによって引き寄せられるという仮説はいささか疑問です*19。加えて釉薬に添加される酸化鉄は粉末の状態でイオンとして溶解した鉄イオンではなく、先に述べた通り粘土中の鉄分もある程度の大きさの結晶として存在していると考えられます。また、いずれの酸化鉄も固体の融点は1300℃以上であり、焼成時の温度でこれらがイオン化するのか?という新たな疑問も生じて来ます。

この辺りの疑問を解消するには至りませんでしたが、次回はこの「アルカリ」と発色の関わりについて掘り下げてみようと思います。

 

*1:Wikipedia遷移元素https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB%E5%85%83%E7%B4%A0

*2:Wikipedia:第一遷移元素https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB%E5%85%83%E7%B4%A0#%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%81%B7%E7%A7%BB%E5%85%83%E7%B4%A0

*3:日本色研事業株式会社http://www.sikiken.co.jp/colors/colors01.html

*4:遷移元素とその化合物|啓林館http://www.keirinkan.com/kori/kori_chemistry/kori_chemistry_m1/contents/ch-m1/3-bu/3-2-4.htm

*5:Wikipedia:弁柄https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%9F%84

*6:地盤と土壌|産総研地質調査総合センターhttps://www.gsj.jp/geology/fault-fold/ground/index.html

*7:珪砂・長石に含有される酸化鉄の構造分析:http://www.astf-kha.jp/synchrotron/publication/files/5S1_201702074.pdf

*8:https://www.youtube.com/watch?v=jquLEIk28TY&feature=youtu.be

*9:Wikipedia:酸化鉄https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B8%E5%8C%96%E9%89%84

*10:【技術資料】In-situ XAFS測定による鉄さびの構造変化の観察:http://www.tosoh-arc.co.jp/techrepo/files/tarc00608/T1839Y.pdf

*11:陶芸における緋色の研究https://t.co/2qcrVf7nx3?amp=1

*12:波長分散型蛍光X線分析装置の原理と応用|JAIMA 一般社団法人 日本分析機器工業会https://www.jaima.or.jp/jp/analytical/basic/xray/wds/

*13:よくあるご質問(FAQ)ーSPring-8 Web Site http://www.spring8.or.jp/ja/about_us/whats_sp8/faq/#chap7

*14:XAFS(ザフス)-手法と事例- SPring-8 Web site http://www.spring8.or.jp/ja/science/meetings/2016/2nd_cultural_ws/xafs/

*15:利用報告書 平成30年度-公益財団法人佐賀県地域産業支援センター 九州シンクロトロン光研究センターhttp://www.saga-ls.jp/main/1995.html

*16:笠間焼・益子焼の歴史 // 陶の里かさましこhttp://www.kasamashiko.jp/rekishi/index.html

*17:佐賀県立九州シンクロトロン光研究センター http://www.saga-ls.jp/main/1218.html

*18:九州シンクロトロン光研究センター 県有ビームライン利用報告書 X線吸収端近傍構造解析を用いた笠間焼鉄釉の発色機構の解明:http://www.saga-ls.jp/site_files/file/Publication/Experiment%20Report/H30/P/1811113P_ishigaki.pdf

*19:『陶芸における緋色の研究』の中ではこのアルカリ炎を「植物性の蒸気は水の中のマイナスのイオン」としています(同34P)