あさドラ『#スカーレット』における緋色の研究(その二)

【化合物と色の科学】
その一からの続きです)
周期表を眺めていると多くの元素にもいくつかの分類があり、そのなかに「遷移元素*1と呼ばれる一群があることがわかります。中でも原子番号21のスカンジウム(Sc)から同29の銅もしくは30の亜鉛までは第一遷移元素*2と呼ばれ、鉄、銅、ニッケルなど天然の存在量も多いことから様々な用途に用いられている元素です。

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周期表中の遷移元素。この中でピンク色に当たる部分の元素が遷移元素。(Wikipedia:遷移元素より)

前回、太陽光の連続スペクトル中の吸収線であるフラウンホーファー線に触れましたが、私たちが目にする物体の色の多くはそうして物質に吸収されずに反射された光を見ていることを意味します*3。第一遷移元素は電子軌道の中でも3d軌道と呼ばれる軌道に空の軌道を含むことで様々な物質としての特徴を示すことで知られ、中でも電子軌道の遷移による光の吸収が可視光領域に及ぶために固有の色を示す化合物が多いことが知られています*4。 

この第一遷移元素の中でも鉄は特に地殻中の元素としても四番目に多く、鉱物として析出する赤鉄鉱は鉄鉱石として製鉄の原料として用いられるだけでなく、ベンガラとして加工され陶芸においては有田焼の絵付けを代表に朱の顔料として利用されることでも知られる通りです*5。こうした鉱物や岩石の風化は風雨の直接的な物理的作用だけでなく、雨に含まれる酸や一緒に溶け出したアルカリ金属による化学的作用も受け、溶け出した鉄分は条件によって様々な「錆」を生じ、それが土壌の色を左右しています*6。もっとも原料となる珪砂・長石に含まれる鉄分を強力な磁石で除いてる*7ことから、ある程度の大きさの結晶として存在していると思われます。
かつて『チコちゃんに叱られる』において「なんで鉄はサビびるの?」との問題が出題されました。この答えは「鉄は錆びたがってるから」で酸素が豊富な環境下で安定な酸化物となるのは必然なのですが、その際に物質・材料研究機構さんが作った動画*8の中で、いわゆる「錆」も化合物としては主に四種類からなることが紹介されています。

 更に一口に「酸化鉄」と言っても水酸化化合物なども含め広義な鉄の化合物として16種類存在することが知られています*9。 これらの中でもオキシ水酸化鉄FeOOHは風化した土壌にも含まれ先に述べたように土の特徴的な色をもたらす一つですが、同時に数100℃程度の比較的低い温度で酸化鉄(Ⅲ)へと変化します*10

これらから焼成後の陶器の鉄の酸化物としては、狭義な鉄の酸化物である「酸化鉄」として酸化数の異なる次の状態


Fe2O3=Fe3+2O3:酸化鉄(Ⅲ)いわゆる赤さび(上記ツイート内の4つの化合物のうちの一番左)
Fe3O4=Fe2+Fe3+2O4:酸化鉄(Ⅱ、Ⅲ)いわゆる黒さび(同じくツイート内一番右)
FeO =Fe2+O:酸化鉄(Ⅱ)

を考えれば良さそうです。さて、先に述べたように焼成時の酸化状態で異なる景色となるように、信楽焼の「緋色」、それも黒信楽、赤信楽はそれぞれどの酸化鉄に対応するのでしょう?

【酸化鉄がもたらす色の科学】

たいへん興味深いことに、実際に穴窯を再現し「緋色」の再現を試みた『陶芸における緋色の研究』*11においては、計三回の焼成を行い、信楽の土だけでなく鉄分の多い備前の土を含む異なる鉄分含有量の粘土を用いて酸化、還元それぞれの条件で焼成を行っています。 更にはX線解析として実験室内のX線源を用い、(恐らくは)X線蛍光分析を行い信楽土の試料の緋色とそうでない部位の鉄分の比が3.5倍だったのに対し、備前土の場合は1.5倍程度だった結果が示されていました。すなわち鉄分量としては少ないものの濃淡が大きい信楽焼に対し、量が多いものの濃淡は小さいのが備前焼と言えます。この結果から「緋色」は焼成中に陶器の表面に集まった鉄が冷却時に酸素と結びついて酸化第二鉄(酸化鉄(Ⅲ))で白い素地に対するコントラストとして表出する一方、備前土の場合素焼きの段階で発色しているため、緋色が着いても素地の色と相まって褐色になってしまうことが鮮やかな緋色とならないと結論付けています。

更には緋色の濃淡に対して「量の問題ではなく酸化の程度であろう」と考察しているものの、残念ながらそれを直接的に示すに足るデータはありません。それはこの中で行われているX線蛍光分析は元素の量こそ求めることは出来ても、その元素の化学的状態を知ることは出来ないことにも起因します。 X線蛍光分析法*12は高いエネルギーのX線を物質に照射し、原子の内殻の電子が励起されて生じた空孔に外殻の電子が移って来た際、その軌道のエネルギー差に相当するエネルギーを蛍光X線として放出する現象を利用した分析法です。このエネルギー差に由来する蛍光X線の波長は元素に固有のため、元素の同定やその量の分析にたいへん有効な分析法で、かれこれ20年以上前には、毒物事件に含まれる不純物の量の科学鑑定に利用されたことでも知られています*13

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典型的な波長分散蛍光X線蛍光スペクトル。元素ごとに固有な波長の鋭いピークを示す。(Wikipedia:蛍光X線より)

一方で、シンクロトロン放射光のX線源の利用が一般化したこの20余年の間に、このX線蛍光分析と同様に応用が広まった分析法にXAFS(X線吸収微細分光)分析があります。これは内殻の電子がX線によって励起される際、吸収スペクトルの吸収エネルギー近傍に表れる固有の構造に元素の化学結合や配位状態を反映されることを利用した分析法です*14。その意味でX線蛍光分析もXAFS分析も、共に原子の軌道間の遷移を利用した分析法です。このXAFSによる分析を行えば、陶器の中に含まれる鉄の酸化状態を明らかにすることも可能になるかも知れません。

 このようなシンクロトロン放射光施設は現在国内に複数あり、それらの施設を利用した際に提出する利用報告を当たったところ、流石に信楽の焼き締めではありませんが様々な釉薬に対してXAFS解析を行った報告があり、その中で佐賀県の九州シンクロトロン光研究センターを利用した茨城大学茨城県の笠間陶芸大学校の共同研究に「X線吸収端近傍構造解析を用いた笠間焼鉄釉の発色機構の解明」との2018年度の報告*15を見付けることが出来ました。なお、笠間焼は江戸中期に笠間の名主が信楽から陶工を招いて窯を開いたことが起こりという縁でもあります*16

この研究では青磁釉(鉄分1.2%)と赤鉄釉(鉄分10.6%)を焼成条件を変えて陶器を作成し、その鉄分と焼成条件で得られる色調変化を鉄の酸化状態を通して評価しようというものです。画像の使用には許諾が必要*17になるため掲載できませんが(先の理由からもスクリーンショットなどでの画像の利用はお控え下さい)、焼成条件含め詳しくはリンク先をご覧ください*18。 実験で得られた結果から、まず鉄分の少ない青磁釉の場合はいずれも還元条件ながらその程度と冷却の際の雰囲気によって違いが生じ、XAFSスペクトルも酸化鉄(Ⅱ)のそれに近いものの、若干のずれは酸化鉄(Ⅲ)も微量に存在することを示唆し、発色の違いとして表れていると考察しています。
もう一方の鉄分の多い鉄赤釉では酸化焼成還元焼成の場合では見た目で色合いが異なるようにスペクトルにもはっきりとした違いが見られ、酸化焼成の試料からは酸化鉄(Ⅲ)と還元焼成の試料からは酸化鉄(Ⅱ)と近いスペクトルが得られたものの、やはりどちらかに完全になっておらず酸化焼成の試料にも酸化鉄(Ⅱ)を含んでいるが、酸化鉄(Ⅲ)が多く存在すると赤色に発色する傾向にあると考察されています。

加えて青磁釉の板状試料の実験データから一つの可能性としながらも、還元冷却処理を行った青磁釉試料では表面から内部に向け酸化鉄(Ⅱ)は増加し、酸化鉄(Ⅲ)は減少傾向にあると考察し、この分布に関しては今後の課題として締め括っています。

焼き締めの陶器と釉薬との違いはありますが、この結果は元の素材に含まれる鉄の絶対量に加え焼成によって鉄イオンの移動が起こることで表面から内部に分布が生じ、その後の冷却の際の環境にも依存して酸化状態の異なる酸化鉄が分布することが陶器の色調にも強く影響することを示唆しています。では、この鉄分の移動は何によってもたらされるのでしょうか?

『陶芸における緋色の研究』ではこれを「アルカリ炎」とし、「薪のアルカリイオンに引き寄せられて表面に集ま」るとしています(同34P,同69P)。

しかし、そもそも炎に(Na+やK+などの)アルカリイオンが生じていたら、同時に陰イオンも発生し全体としては中性になっていると個人的には思います。また、二価であれ三価であれ鉄イオンは陽イオンなので、同じ正電荷であるアルカリイオンによって引き寄せられるという仮説はいささか疑問です*19。加えて釉薬に添加される酸化鉄は粉末の状態でイオンとして溶解した鉄イオンではなく、先に述べた通り粘土中の鉄分もある程度の大きさの結晶として存在していると考えられます。また、いずれの酸化鉄も固体の融点は1300℃以上であり、焼成時の温度でこれらがイオン化するのか?という新たな疑問も生じて来ます。

この辺りの疑問を解消するには至りませんでしたが、次回はこの「アルカリ」と発色の関わりについて掘り下げてみようと思います。

 

*1:Wikipedia遷移元素https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB%E5%85%83%E7%B4%A0

*2:Wikipedia:第一遷移元素https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB%E5%85%83%E7%B4%A0#%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%81%B7%E7%A7%BB%E5%85%83%E7%B4%A0

*3:日本色研事業株式会社http://www.sikiken.co.jp/colors/colors01.html

*4:遷移元素とその化合物|啓林館http://www.keirinkan.com/kori/kori_chemistry/kori_chemistry_m1/contents/ch-m1/3-bu/3-2-4.htm

*5:Wikipedia:弁柄https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%9F%84

*6:地盤と土壌|産総研地質調査総合センターhttps://www.gsj.jp/geology/fault-fold/ground/index.html

*7:珪砂・長石に含有される酸化鉄の構造分析:http://www.astf-kha.jp/synchrotron/publication/files/5S1_201702074.pdf

*8:https://www.youtube.com/watch?v=jquLEIk28TY&feature=youtu.be

*9:Wikipedia:酸化鉄https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B8%E5%8C%96%E9%89%84

*10:【技術資料】In-situ XAFS測定による鉄さびの構造変化の観察:http://www.tosoh-arc.co.jp/techrepo/files/tarc00608/T1839Y.pdf

*11:陶芸における緋色の研究https://t.co/2qcrVf7nx3?amp=1

*12:波長分散型蛍光X線分析装置の原理と応用|JAIMA 一般社団法人 日本分析機器工業会https://www.jaima.or.jp/jp/analytical/basic/xray/wds/

*13:よくあるご質問(FAQ)ーSPring-8 Web Site http://www.spring8.or.jp/ja/about_us/whats_sp8/faq/#chap7

*14:XAFS(ザフス)-手法と事例- SPring-8 Web site http://www.spring8.or.jp/ja/science/meetings/2016/2nd_cultural_ws/xafs/

*15:利用報告書 平成30年度-公益財団法人佐賀県地域産業支援センター 九州シンクロトロン光研究センターhttp://www.saga-ls.jp/main/1995.html

*16:笠間焼・益子焼の歴史 // 陶の里かさましこhttp://www.kasamashiko.jp/rekishi/index.html

*17:佐賀県立九州シンクロトロン光研究センター http://www.saga-ls.jp/main/1218.html

*18:九州シンクロトロン光研究センター 県有ビームライン利用報告書 X線吸収端近傍構造解析を用いた笠間焼鉄釉の発色機構の解明:http://www.saga-ls.jp/site_files/file/Publication/Experiment%20Report/H30/P/1811113P_ishigaki.pdf

*19:『陶芸における緋色の研究』の中ではこのアルカリ炎を「植物性の蒸気は水の中のマイナスのイオン」としています(同34P)

あさドラ『#スカーレット』における緋色の研究(その一)

 NHK連続テレビ小説『スカーレット』が終わり一月余りが過ぎようとしています。陶芸作品をはじめとする芸術作品が人の心を豊かにする一方で、個人的にはその作り手の葛藤や苦悶が「熱量」として伝わってくるようでした。そもそもこのブログでドラマのレビューというのもはじめてなのですが(それ以前にこれがドラマレビューに当たるのか?も含めw)、久々のブログのテーマとしてあさドラ『スカーレット』を「緋色の研究」と題して総集編のタイミングに合わせ、柴田所長や掛井先生の属した窯業研究所の目線で(と言ってもかなり偏ってますがw)、そして何より川原武志の「陶芸は化学」(この言葉は制作に当たって深く取材し、喜美子の作品としてご自身の作品を提供された神山清子さんの言葉「陶芸は科学なんです」*1にも由来するようです)の視点で振り返ってみたいと思います。

尚、予めお断りさせて頂きますがこれを書いてる中の人は陶芸に関してはまったくの素人です^^。

信楽焼とスカーレット】

タイトルの『スカーレット』は公式には「緋色(ひいろ)のこと。伝統的に炎の色とされ、黄色味のある鮮やかな赤。緋=火に通じ、陶芸作品に表れる理想の色のひとつである」*2と説明されています。特にこの信楽焼の緋色は、焼成時に生じる焦げや薪の灰による灰かぶり、その灰と信楽の土に含まれる長石との反応による自然釉など、古信楽からの伝統技法でもある釉薬を使わぬ「焼き締め」によって得られる「景色」の中でも、日本六古窯の一つである信楽焼の陶器を他の産地のそれから際立たせる極めて重要な特徴のようです*3

そして、劇中だけでなく関連番組として『ブラタモリ甲賀信楽編』や『美の壺信楽焼』でも語られていましたが、かつて琵琶湖はこの辺りにあり、風化した花崗岩流紋岩がこの湖底に堆積することで形成された古琵琶湖層がもたらす粘土が、単なる陶器に留まらず狸の置物や風呂桶といた大物まで「形になるものは何でもつくるたくましさ」*4信楽焼の大きな特徴なのだそうです。 

劇中において、信楽の土の特徴として窯業研究所の柴田所長の口から「例えば鉄分。信楽の土に含まれる鉄分の割合はほかの土とはちゃいます」と語られていました(1/22放送分)。たびたびツイートで引用させてもらった『陶芸における緋色の研究』*5の序文に当たる第一章で具体的にその鉄分が示され、丹波焼の粘土中の鉄分が2%を越えるのに対し信楽焼においては1.2%ほどと少なく、「素地土に少量の鉄分(1.5パーセント程度)が含まれていることが緋色のでる条件」との文献*6 が引用されています(孫引きご容赦願います(^_^;)。。。)。  

 これが焼成によって完成した陶芸作品となった際、この粘土に含まれる「鉄分」は焼成時の酸素量の条件に依って「黒信楽」「赤信楽」とまったく異なる色あいを見せることも、喜美子の作品として劇中で使われた神山清子さんの作品を通して視聴者を魅了して来ました。

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更に一般的な釉薬を用いた陶芸作品まで広げると、鉄の酸化状態の変化だけでなくそれ以外に共存する物質と焼成条件に依っても様々な色合いを出すことが可能らしく、「高純度化学研究所」のブログ*7では鉄系釉薬の例として、飴釉、銀油滴天目釉、黒天目釉、海鼠釉、黃瀬戸釉、柿天目釉によって黃、橙、緑、青、赤、紫、茶、黒などの色が可能であることを見ることができます。

 そもそもこれら陶器に独特な景色を与える「火の色」=「緋色」≒「赤色」はどこから来るのでしょう?まずはその手始めとして「火色」の起源から始めたいと思います。

【火色の科学】

「火の色」から一般に私たちは赤い炎を連想しがちです。しかし、例えばガスの燃焼における火は青い炎ですし、東京五輪2020の聖火リレーでは初めて燃料に水素が用いられており、この水素の炎は無色のため重曹(恐らくそれに含まれるナトリウム)の炎色反応で「色付け」されることになっています。因みに炎色反応で「スカーレット」と言うとストロンチウムに由来する4つのスペクトルの色だそうです*8。  一方でろうそくの炎の場合、燃え方によって内側から炎心、内炎、外炎に分けられ、いちばん明るく輝く部分は内炎の部分です。この内炎の明るさの元は不完全燃焼で生じた「すす」に由来します。この炭素の微粒子であるすすの熱放射によりオレンジを呈する連続スペクトルとなります*9。ろうそくの「ろう」の高級エステルがそうであるように、一般に炭素を多く含む燃料ほど赤い炎となり、これは有機物の燃焼全般に言えるようです*10

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ブンゼンバーナーと炎の関係。左の炎ほど酸素量が不足し、すすが生じている。(Wikipedia:ブンゼンバーナーより)

『陶芸における緋色の研究』でも穴窯の薪の焼成に関して「初めの赤黒い炎は還元炎であり(燃料が充分に酸素と結びついていない状態の炎)、透き通った炎は酸化炎である(燃料と酸素がバランスよく燃えている状態の炎)」との説明がなされています(同23P)。

この炎の色はその燃焼で得られる熱とも無関係ではありません。熱の元は赤外線と呼ばれる電磁波の一種で、熱せられた物体はこの電磁波を放射します。黒体と呼ばれる理想的な物体においては温度が上がるにつれてその電磁波の波長の分布は短い方へとシフトし、熱の元である赤外線の領域から、やがて概ね700℃(約1000K)を越えた辺りで可視光領域の赤となり、更に黄色身を帯びて6000℃辺りで全ての可視光領域の波長を含む白色となり、それ以上になると青白色となります。この物体からの放射の温度と色の関係は、産業革命以降の近代的な工業における炉や窯の温度を知る上での必要性から見出だされました*11

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理想的な黒体から放射される電磁波による色と温度の関係。(Wikipedia:色温度より)

『スカーレット』の劇中においても穴窯のシーンで窯の温度を1150℃という具体的な焼成温度が語られていましたが、まさにこのシーンの窯の色こそ薪の燃焼で生じるすすや窯の中の温度に起因した熱放射による「火の色」と言えるでしょう。

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穴窯の焼成のシーン(1/30放送分より)

【光と色の科学史

温度と色の関係は星の色でも知られることですが、科学史的に「赤い太陽」の観測とも密接に関係します。そもそも赤外線は1800年にイギリスのハーシェルによる太陽光の観測から発見されました*12。その2年後に太陽光のスペクトルの中に見付かった暗線はフラウンホーファーにより系統的にまとめられ、フラウンホーファー線として今日でも知られています*13

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フラウンホーファー線(Wikipedia:フラウンホーファー線より)

これがキルヒホフやボルツマンの研究を経て1900年にマックス・プランクに依って放射則として、温度との電磁波のスペクトルの関係が一般化されたことで量子という20世紀の科学の扉の端緒を拓きます。また、フラウンホーファー線は19世紀半ばにキルヒホフとブンゼンにより様々な元素による吸収線であるとわかり、やがてバルマー更にはリュードベリによって単純な一般式で表されることが示され、これがプランクの量子の考えとアインシュタインの光量子仮説と相まって1913年にボーアによる水素の原子モデルが提案され、やがて量子力学へと発展することとなります。この量子力学の成立により吸収線の意味するものが原子核の回りの電子軌道とその軌道間の遷移として理解されるようになりました*14

これに先立つ1868年にはロシアのメンデレーエフによって、近代科学前夜の錬金術にはじまった現代化学の一里塚として、原子量と元素の化学的性質を元に周期表がまとめられています*15量子力学はこの周期表量子力学に基づく電子軌道の概念が対応付けられたことで、元素の化学的性質が電子の振る舞いとして理解されるようになりました。いわゆる量子力学の発展として生まれた量子化学の成立です。

これから劇中で武志に語らせた「俺にとってはな化学やねん」「化学反応起こすねん。ほうして色が生まれる」や、更には先の神山清子さんの「粘土層の中に含まれる養分が、焼き上げると化学反応を起こし、緋色のような土味としてにじみ出てくる」*1の話へと繋がることになります。

その二に続く)

 

*1:信楽焼の陶芸家 神山清子さんを訪ねて|綾羽株式会社https://ayaha.co.jp/human/detail.php?lists=20191024100239

*2:タイトル「スカーレット」とは|番組紹介|連続テレビ小説「スカーレット」|NHKオンラインhttps://www.nhk.or.jp/scarlet/about/

*3:信楽焼・解説|穴窯焼成による信楽焼織部-KOWARI TETSUYA web site-http://www.mushingama.com/text_honbun.htm

*4:日本六古窯の一つ、信楽焼きとは|スカーレットの舞台地 甲賀市信楽https://scarlet-koka.jp/news/tougeimiryoku

*5:『陶芸における緋色の研究』:

https://t.co/2qcrVf7nx3?amp=1

*6:「穴窯」古谷道生著 理光学(1994)

*7:鉄のカラフルな反応 ~鉄はカメレオン?七変化を見せる鉄~
https://t.co/FRLlqO8lP5https://www.kojundo.blog/experiment/331/

*8:Wikipedia:スカーレットhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

*9:Wikipedia:炎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E

*10:【青い炎と赤い炎】|松井本和蝋燭工房https://www.matsuirousoku.com/%E5%92%8C%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%9D%E3%81%8F%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%A8%E7%B5%90%E6%9E%9C/%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%9D%E3%81%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E7%87%83%E7%84%BC%E3%81%BE%E3%81%A7/

*11:Wikipedia:黒体https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BD%93

*12:赤外線と放射温度計 - HORIBA https://www.horiba.com/jp/process-environmental/products-jp/thermometry/infrared-thermometry/

*13:Wikipediaフラウンホーファーhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E7%B7%9A

*14:Wikipedia:前期量子論https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%9C%9F%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%AB%96

*15:Wikipedia:周期表https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%9C%9F%E8%A1%A8

ヒスイカズラの翡翠のひみつ

早春の3月頃から花の見頃を迎える熱帯植物にヒスイカズラという植物があります。ちょうど3年前のこの時期に福島県いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」で開催された「めひかりサミット*1に参加した際、初めてこの花を目にしました。

 

以来、アクアマリンふくしまヒスイカズラを見て「今年もめひかりサミットの時期なんだなあ」などと思うようになりました。考えてみれば「アクアマリン」は鉱物としては青色のベリル(緑柱石)であり、色としては緑と青の中間色、「メヒカリ」は英名をRound Greeneyes、和名をマルアオメエソで、これらに加えて「翡翠」と来れば青緑系の色調で統一され、カラーコディネート的にもバッチリですね。

 

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さてこのヒスイカズラ、その名の通り花が「翡翠色」をした葛(つる性の植物の総称)で、マメ科に分類されます。一つが10cmほどの勾玉状の花が房状に連なり、房は長いものになると1m近くにもなるそうです。原生地のフィリピン・ルソン島で野生種は絶滅危惧種となっているようですが、日本国内では多くの熱帯植物園などで観賞することが出来るだけでなく、タキイあたりの種苗会社からは園芸用の苗も販売されており、冬季の温度管理などを適切に行うことで、栽培も(まったく)不可能ではないようです。

 

それにしてもこのヒスイカズラ、随分と変わった花の色ですよね。昨年、大阪の咲くやこの花館が「あのボーカロイドのような」と紹介したことで、話題にもなりました。しばしばこの花の花粉を媒介するコウモリがこの色を好むからなどとも言われますが、原産地フィリピンでは絶滅に瀕しているほどなので実際のところはよく分からないのだそうです*2

ヒスイカズラがこのようにちょっと変わった花の色を示すのは、化学的には主に次の3つの要因からなります。

 

【コピグメント効果】

まず一つ目の要因は、アントシアニンのフラボノイドによる「コピグメント効果」によるものです。アントシアニンギリシャ語のanthos=花、kyanos=青(シアン)に由来することからも分かるように、青色系の花の色素として知られています。植物の液胞中で、アントシアニンは糖が結合した配糖体として存在します。この糖などを除いた発色に関係する色素の部分は一般にアントシアニジンと呼ばれるフラボノイドのひとつであり、より大きな分類ではポリフェノールの一種です。アントシアニジンには共通した基本の骨格に異なる修飾基が付加した様々な種類が存在し、その違いによって赤~紫~青の色を呈します。

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岩科らの研究*3により、ヒスイカズラの花の色素はこのアントシアニンの内のマルビンであることが明らかになっていました。

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このマルビンは様々な種のブドウの果皮にも存在し、赤ワインが「ワインレッド」を呈する上で主要な色素であることからも分かるように、中性溶液中では赤紫を呈します。これが「がく」のような青紫を呈するのはモル比でマルビンの9倍存在するサポナリンのためであることが、東京学芸大の武田らの研究*4で新たに示されました。

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サポナリンは、アントシアニジンと同じくフラバン骨格を持つフラボンのひとつのアピゲニンに、ふたつの糖が付いたフラボノイドのひとつです。

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こうしたフラボノイドがアントシアニン共存すると溶液中で積層構造を取り、これがアントシアニジンの電子状態に影響し青色化することが知られています*5。これは「コピグメント効果」と呼ばれ、実際マルビンだけの場合と比較してマルビン:サポナリン=1:9の条件では、溶液の吸収極大波長が611.3 nmから620.5nmへと長波長側にシフトし、結果的に赤が抑えられより青味が増すことが吸収スペクトルからも確かめられました。また同時に、アルカリ条件では不安定なアントシアニジンを安定化させ退色を防ぐ効果もあると考えられています。

 

他にもこのコピグメント効果によって青味を増す花として、ハナショウブやキキョウ、リンドウ、デルフィニウムなどが知られていますが、一言にコピグメント効果と言ってもアントシアニジンと他のフラボノイドなどとの作用は様々なようです*6

 

【アントシアニジンとサポナリンのpH効果】

残りの二つの要因は、花弁の表皮細胞のpHによるものです。まず、花弁が青紫でなくより青に近い色合いになるのは、アントシアニジンであるマルビジンのpHによる吸収波長の変化のためです。同じく武田らの研究によりヒスイカズラ花弁の表皮細胞の抽出液のpHは7.9と、無色の花弁内部の細胞や一般的な花弁の細胞が示す弱酸性とは異なり、例外的に高いことが示されました。

 

このpHによるアントシアニジンの色の変化は、ムラサキキャベツなどから抽出した溶液などでも確かめることができ、簡便なpH指示薬になることが知られています。

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このように、重曹で得られる程度の弱いアルカリでも明らかな青色への変化を確かめることができます。これが更にpHが11以上となるアルカリ洗剤を滴下すると緑から黄色へと変化しますが、いずれにせよ「あのボーカロイド」のようなみっくみくな色合いにはなりません。

 

アントシアニンと言えば、しばしば話題になる「ムラサキキャベツを使って焼きそばを作ったらトンデモない色の焼きそばに!」というのがありますね。これはアントシアニジンが麺に含まれる「かんすい」のアルカリと反応したためで、レモンなどの酸を加えることでピンクの焼きそばとなることが知られています。この時の焼きそばの色が、ちょうどヒスイカズラの青緑に近い色合いに思われます(参考:カメレオン焼きそば - 愛媛県総合科学博物館 )。

 

すなわち、あのみっくみくな色合いはアントシアニジンの青に黄色が加わることによるものです。焼きそばの場合の黄色は元の麺の色に由来しますが、ヒスイカズラの場合は、サポナリンがその役割を果たします。中性条件下でサポナリンは無色ですが、これが弱アルカリ性の溶液中では黄色を呈することがやはり武田らの論文で示されました。これこそがマルビンの青色と相まって「翡翠色」を呈するために必要なもう一つの要因に他なりません。

 

そんなヒスイカズラですが、花言葉

 

やはりこの時期に可憐な青色の花を咲かせるこの花

 

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と同じなんだそうです。 この季節は同時に様々な別れの季節でもありますね。そう考えると、この季節の花の青は少し切なくも感じます。

 

謝辞:執筆に際し、東京学芸大学名誉教授の武田幸作先生より、論文の複写をお送り頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。一緒に添えられた紫陽花のメッセージカードも素敵です。

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*1:ひかりサミット:毎年3月にいわき市の魚でもあるメヒカリをシンボルとして、アクアマリンふくしまで開催される主に持続可能な漁業や水産資源の活用などをテーマとした一般も参加可能な公開イベント。演者による講演だけでなく、その後に催される試食会も楽しみのひとつ。

ひかりサミット in 福島。 目からウロコの魚トーク | 国際環境NGOグリーンピース http://greenpeace.org/japan/ja/high/news/blog/staff/in/blog/52301/

@yajifunさんによることしのメヒカリサミットのレポート http://togetter.com/li/947117

*2:ヒスイカズラ :: おすすめコンテンツ ≫ 植物図鑑 :: 筑波実験植物園(つくば植物園) Tsukuba Botanical Garden

*3:Iwashina, T., Ootani, S., Hayashi, K., 1984. Pigment components in the flower of Strongylodon macrobotrys, and spectrophotometric analyses of fresh petal and intact cells. Res. Inst. Evolut. Biol. Sci. Rep. 2, 67-74.

*4: Greenish blue flower colour of Strongylodon macrobotrys. Kosaku Takedaa, Aki Fujii, Yohko Senda and Tsukasa Iwashina, Biochemical Systematics and Ecology, Volume 38, Issue 4, August 2010, Pages 630–633, doi:10.1016/j.bse.2010.07.014

*5:宮崎大学農学部応用生物科学科植物遺伝育種学研究室 | アントシアニンの化学: http://www.geocities.jp/breeding_ivk/yabuken/A7_3.htm

*6:農研機構 | 花き研究所 | 花の色のしくみ | 青色: 

https://www.naro.affrc.go.jp/flower/kiso/color_mechanism/contents/blue.html

明滅する一筋の光が我々にみせたもの ~木下一彦さんの追悼に代えて~

間もなく三ヶ月が過ぎようとしていますが、早稲田大学の木下一彦教授が南アルプスで遭難されお亡くなりになられたとの、余りに突然のニュースに正直驚きを禁じ得ません。いまはただ謹んで哀悼の意を表すとともに、御家族さま並びに関係者の皆さまにはお悔やみを申し上げます。

木下さん(ここでは敢えて先生でなくそう呼ばせて頂こうと思います)の科学者としての業績に触れる際に、当初の報道にもみられたように回転するF1-ATPaseのサブユニットの成果が取り上げられることが多いかと思います。そこでここでは敢えて、少し違う角度から木下さんの業績を紹介してみようと思います。私などが追悼などと言うのも甚だおこがましいのですが、より多くの方に生前の木下さんの業績の違った一面を知っていただけると幸いです。

 

ここで紹介する論文は、Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America へと掲載された"Axial rotation of sliding actin filaments revealed by single-fluorophore imaging"という論文です。件のF1-ATPaseの論文がNatureのレターとして掲載されたのが1997年3月ですが、その直後の5月に出版されました。

実験としては、それまでのin vitro motility assay系を改良し、アクチン単量体に対して1/500という少ない量比の蛍光分子でアクチンフィラメントを修飾し、カバーガラスに吸着固定したミオシン上で滑り運動を行わせた像を滑走するフィラメントに対して45°をなすそれぞれ直交する偏光板を通して観察した結果、直交する偏光像が交互に明滅を繰り返す様子が得られたというものです(実際に明滅する様子は早大木下研の動画サイトで見ることが出来ます)。この実験には、当時慶応大学の木下研で改良された、バックグラウンドの蛍光を二桁低減させた蛍光顕微鏡が用いられました。 この結果は、ミオシン上を滑走するアクチンフィラメントが滑りながら同時に回転していることを意味し、その回転はおよそ1μm進むごとに一回転と、約72nmで1周期のらせんを形成するアクチンのピッチに比べて長く、ミオシンはアクチンのフィラメント上を「歩く」と言うより「走る」と言うのが相応しい、と結論付けておられます。

これだけではこの研究成果の意義が理解され難いと思いますので、この研究に至るまでの筋収縮研究の歴史を簡単に振り返ってみようと思います。

 

1950年代に筋肉の収縮単位であるサルコメア構造の電子顕微鏡による観察が行われ、これらを元に筋収縮はミオシン分子が重合した太いフィラメントと主にアクチンが重合したアクチンフィラメントがそれぞれ互いに滑り込むことで生ずるとする「滑り説」が提唱されます。

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電子顕微鏡による筋肉の収縮単位であるサルコメアのイメージ(上)と収縮の模式図。

若き日の木下さんを生物学の研究へと駆り立てたのも、この電顕写真だったとのことで、「一目で分かるという明快さ」に惹かれたのだそうです(参考:私の生物物理学)。尚、先のリンクに登場する物理学科卒業間近の木下さんにその電顕写真を紹介したI氏とは、この論文における共著者でもあり、その他多くの共著論文を残されている同じ早稲田大学物理学教室の石渡信一教授に他なりません。

 さて、筋肉のフィラメントが互いの間に滑り込むことで筋収縮が起こるとして、それがどのようなメカニズムによってなされるのか?という点にその後研究者の関心が集まります。 `50年代から`60年代にかけて、さらに解像度の高い電子顕微鏡写真が得られるようになると、他の生筋のX線回折の結果などと合わせ、アクチンとミオシンの相互作用はアクチンフィラメントとミオシンフィラメントから突き出た「頭部」とで構成される「クロスブリッジ」で起こり、ミオシンのATP加水分解に伴ってこの頭部が首を振りアクチン一つ分手繰ることでフィラメントが滑るとする「首振り説(Swinging Crossbridge Model)」へと発展します。

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ミオシン頭部とアクチンフィラメントからなる「クロスブリッジ」と首振り説の模式図。(H. E. Huxleyのreview article Fig.16を元に作図)

しかし、これらの電子顕微鏡像は観察のために重原子で「(負に)染色」した像であり、たんぱく質が機能する「生きた」状態とは言い難いものでした。これは収縮の単位であるサルコメアでさえ、数マイクロメートル程度でしかなく、光学顕微鏡で詳細に観察するには小さ過ぎることが原因です。そこで登場したのが、観察対象のたんぱく質を蛍光色素で染色することで、たんぱく質が「生きた」状態で観察を可能とした蛍光顕微鏡です。

`84年に大阪大学の柳田らにより、蛍光色素をつけたキノコ毒の分子でアクチンフィラメントを染色することで、一本のアクチンフィラメントを蛍光顕微鏡で観察できることが示されます。これをきっかけに、柳田のグループをはじめとして日米の複数のグループが、たんぱく質加水分解酵素を用いてミオシンの頭部だけをフィラメントから切り離し、この頭部をカバーガラス表面に塗布して固定し蛍光染色したアクチンフィラメントを滴下した後この系にATPを含む溶液を加えると、カバーガラス上をアクチンフィラメントが滑る様子を蛍光顕微鏡で捉えることに成功します。

 


In Vitro Motility Assay of Skeletal Muscle Myosin ...

In vitro motility assayで得られた蛍光顕微鏡像の例

 このin vitro motility assayと呼ばれる実験系を用いた研究は、この後日米の研究グループの間で一つの論争を巻き起こします。まず、柳田らは`85 年にミオシンによるATP一分子の加水分解という化学反応でアクチンフィラメントはどれ程の距離を滑るのか?を意味する「ステップサイズ」を計測し、それが60nm以上と アクチン一つ分の5nmに比べはるかに大きいとする論文を発表します。一方で米のグループからはステップサイズはそれほど大きくないとする、柳田らの結果を否定する論文が提出されます。いわゆる「ルースカップリング」vs.「タイトカップリング」の論争です。

確かに、このin vitro motility assayの系で生きた状態のアクチンフィラメントの滑りを観察できるようになりました。しかし、この論争において決着の決め手に欠いた一因として、滑りの原動力であるミオシンを直接観察することが出来ないという問題が残されていました。これは、アクチンフィラメントはアクチンの単量体が重合して繊維になったものであり、一本あたり数千個の蛍光分子を含むのに対し、ミオシン頭部に付けることの出来る蛍光分子の数はたかだか一つだけであり、その「一つの蛍光分子」を観察することが難しかったことによります。 しかし、木下さんらが検討した結果、一つの蛍光分子が発する光子は当時の顕微鏡でも充分捉えることが可能であることが分かります。問題はむしろ顕微鏡の感度にあるのでなく 、顕微鏡内で散乱された光などによって視野のバックグラウンドが明るすぎることにありました。その様は「昼間に星が見えない」と例えておられます(生物物理 「1個」を見る)。

こうして蛍光顕微鏡の視野のバックグラウンドを明るくする要素を光学的なデバイスを見直すことで改善し、阪大柳田グループとは独立に一つの蛍光分子からの光を捉えることの出来る蛍光顕微鏡を開発しました。 生筋中ではアクチンフィラメントはサルコメアを仕切る膜に固定されていますが、このin vitro motility assayの系においてはフィラメントの端は固定されてはいません。また、この蛍光分子の遷移双極子モーメントは(たまたま)フィラメントの軸に対して約45°であるため、滑走するアクチンフィラメントをその軸に対して45°をなす互いに直交する偏光板を通して観察すれば、回転に伴う一つの蛍光分子からの光の強度の変化として捉えられるはず、という訳です。

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アクチンフィラメントにラベルした蛍光分子の模式図。通常の視野ではどの向きでも蛍光が観察されるが(図左)、偏光板を通した場合は色素分子の回転に応じて縦成分が強くなった場合横成分は弱く、縦成分が弱くなった場合は横成分が強く観察される(図右)。(オリジナル論文のFig. 1を元に作図)

勘の良い方はお気付きかと思いますが、アクチンフィラメントは単量体が重合した繊維ですので、多数の蛍光分子で修飾されたフィラメントでは回転に伴う「向きの変化」を捉えることは出来ません。まさに、この交互に明滅する光は、一つの蛍光分子の観察を可能にしたことで成し遂げることの出来た成果です。また、ATP一分子の加水分解ミオシンがアクチン一つ分を首を振りながら進むのであれば、この系でアクチンフィラメントはそのらせん周期の約72nm毎に回転するはずで、間接的にではありますが、ルースカップリングを支持する結果を意味します。同じく一分子の蛍光観察の系を確立した阪大柳田グループは、ミオシンの一分子観察へと研究を発展させ、論争はルースカップリング側に軍配があがります。

論文の最後は"A future challenge is the simultaneous observation of chemistry and conformational changes in a single protein molecule."(将来的な挑戦は単一のたんぱく質分子における化学と(構造的な)コンフォーメーション変化の同時観察である)との一文で締めくくられています。これはすなわち、「単一の蛍光分子を修飾した酵素などたんぱく質の化学的な反応と構造変化の同時観察」という「一分子生理学」への挑戦の高らかな宣言に他なりません。

実際、この一分子蛍光偏光法はF1-ATPaseの系にも応用され、「大きく目立つ目印」であるアクチンフィラメントに代わり「酵素反応のじゃまにならない小さな目印」として用いられ蛍光標識したγサブユニットが一回転する間に、α,βサブユニットの対称性と同じ120°ごとに3ヶ所のステップを踏むとの結果が得られています。

その後木下さんのグループや同じくこの「一分子生理学」を確立した柳田グループをはじめとした日本の研究グループによって、ミオシンをはじめとしたモーターたんぱく質の一分子観察へと応用され、この分野において日本が世界をリードして来たことをご存知の方も少なくないことでしょう。

木下さんらが確立した一分子生理学は、若き日の木下さんを惹き付けた物理学的な「単純かつ万能な説明」を「一目で分かるという明快さ」として生物学へともたらしました。ここで紹介した論文は、まさにその点において記念碑的な位置を占める論文に他なりません。

 

木下一彦さん、改めて美しい研究成果の数々を有り難う御座いました。どうぞ安らかにお休みください。

 

参考文献など

Axial rotation of sliding actin filaments revealed by single-fluorophore imaging.(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)

Fifty years of muscle and the sliding filament hypothesis(H. E. Huxleyのreview article)

「1個」を見る (生物物理)

Stepping rotation of F1-ATPase visualized through angle-resolved single-fluorophore imaging.(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)

早稲田大学木下研究室(文献や動画へのリンクも)

生物モーターから生物のすばらしさを見る(大阪大学柳田グループの関連する研究の総説的なページ)

君は構造色

表題は無論、大瀧詠一さんの「君は天然色」に対するオマージュです。オリジナルをご存知でない方でも、戸田恵梨香さんがひたすら「75」と訴える発泡酒のCMのバックに流れる、如何にも大瀧さんらしい軽快なピアノの三連符のイントロに聞き覚えがある方も少なくないことでしょう。この「君は天然色」の詞は「はっぴいえんど」以来、大瀧さんの長年の盟友である松本隆さんで、いつの間にか褪せてしまった「君」への想いを色に例え、かつての想いを取り戻したい感情が「色を点けてくれ」と詠われていますまだ若かった妹さんが急逝した後の松本さんを発売を延ばしてまでも待ち続けた大瀧さんとの間のエピソードは、ファンの間でいまだに語りぐさです(2020.4訂正)。既に発表から30年以上が経過したナンバーですが、いまだに色褪せることがありませんね。

 

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ヘンリー・モーズリーを偲ぶ

次の図は、一昨年柏のベクミルさんのシンチレーションスペクトロメータで測定させて頂いた、マントルに含まれるトリウム系列の放射性物質の放射性壊変に伴って放出されたγ 線のスペクトルです。

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霧箱実験の際にα線を見るためにしばしば用いられるマントルですが、トリウム-232から鉛-208に至るまで、α崩壊やβ崩壊をしながら、同時に様々なエネルギーのγ線 を放出している様子が良く分かります。 そんな中で、注目して頂きたいのは、赤い矢印で示した最も大きな値とその次の二つのピークです。実は、これらはγ線由来のピークではなく、放射性壊変に伴って放出されたγ 線によって、遮蔽の鉛から二次的に叩き出されたX線に由来するピークなのですが、今日の主人公であるヘンリー・モーズリーに深く関係します。そして、2014年8月10日はそのモーズリーが27歳という若さで戦場で命を落として99年目の命日となります。これより、モーズリーの業績と共に、このスペクトルのピークの持つ意味を掘り下げてみたいと思います。

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1887年、オックスフォードの解剖学及び生理学の教授であったヘンリー・N・モーズリーの元に生まれ、後にイートン校で物理と化学で優秀な成績を修め、若くして亡くなった父の後を追うようにオックスフォード大学に学びます。1910年、オックスフォードを卒業すると、マンチェスター大学のラザフォード研究室の門を叩きます。 ラザフォードと言えば、放射性物質の研究からα線β線を発見し、その功績から1908年にノーベル化学賞を受賞するなど、当時この分野で最先端を行く研究室の一つと言えるでしょう。更に、この2010年と(1910年と:8/11訂正)言えば、ラザフォードの元でガイガー(あの測定器に名を残すその人です)とマースデンによっていわゆる「ラザフォード散乱」の実験がなされていた時期に当たります。 モーズリーも当初、こうした放射性物質の研究を進め、アクチニウム系列の放射性壊変物質の中から、現在ポロニウム215として知られる放射性物質半減期が1/500秒という、当時知られていた放射性物質の中で最も短い半減期を持つことなどを見出だすなど、類まれな実験の才能を開花させます。 この当時、中性子の存在こそ分かっていませんでしたが、同じ化学的性質を持ちながら異なる原子量を持つ「同位体」の存在が知られるようになり、それらの性質が次々と明らかになっていった頃でした。

しかし、1912年に大きな転機が訪れます。モーズリーは、ドイツのラウエらによるX線の回折現象の発見を知るや、これを新たなテーマにすることを決め、ボスであるラザフォードを説き伏せ実験を始めます。 当初モーズリーも、同じイギリスのブラッグ父子と同様に様々な結晶からの回折や干渉現象を研究していましたが、ある頃から金属などの元素固有の特性X線に注目するようになります。そして、様々な元素の特性X線の波長を系統的に調べることで元素の持つ本質的な性質を明らかに出来るのではないか?と考え、12種の元素を選び次の写真のような結果を得ました。

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図は、縦軸に原子番号、横軸に特性X線の波長を取り並べたものですが、原子番号の大きな元素ほど波長が短く(振動数が大きく)明らかに何らかの関係性のあることが分かりま す。それだけでなく、ある元素のスペクトルに他の元素のスペクトルと同じ波長のスペクトルが見られることが分かります。例えば、純粋な亜鉛が使えなかったため代用した真鍮(Brass)のスペクトルには、期せずして銅のスペクトルと同じ波長のスペクトルが見られます。これは、その元素が純粋な物質からなるのではなく、そのスペクトルをもたらす元素が不純物として混在していることの表れです。この結果は現在では蛍光X線分析法として、化合物の分析に応用されている方法の先駆けでもあります。

そもそも「原子番号」は、このおよそ半世紀前の1869年にロシアのメンデレーエフによって周期表がまとめられた際に、単に順番を示す量として登場しました。メンデレーエフ周期表を化学的性質に基づき作成したため、所々原子量の大きさが逆になることが分かっていましたが、半世紀を経てもその理由は不明でした(それでも単純に原子量の順に並べなかったことが、メンデレーエフの慧眼には違いないのですが)。 モーズリーは、この実験結果から特性X線の振動数の平方根原子番号の一次関数で表せるという法則を見出だしました。これは、現在ではモーズリーの法則と呼ばれています。

この法則は、ラザフォード並びにボーアによって築かれた原子モデルを説明する上でも、重要な意味を持つこととなります。 まず、師ラザフォードはガイガー、マースデンの実験から原子の中心には正の電荷を帯びた核が存在するというモデルを示しました。そして、モーズリーの法則の示す原子番号こそ、この正の電荷の数すなわち陽子の数に他なりません。この結果から、単なる並びの序数に過ぎなかった原子番号に、はじめて物理的な実体が伴ったとも言えるでしょう。 またラザフォードのモデルに続いてこの1913年に提案されたボーアのモデルでは、この正の電荷を持つ核の周囲を、一定の軌道で電子が回っているとしています。モーズリーの法則は、特性X線の振動数(すなわち波長の逆数)が、電子の軌道間の遷移に依存することを強く示唆していました。

モーズリーは更に実験を重ね、より多くの元素から同様な結果を得ます。この結果は、モーズリーの法則が普遍的法則であることを示す見事な直線を示しただけでなく、当時未発見であった元素の存在をも示唆していました。まさに、歴史に残る美しい成果だと言えるでしょう(グラフは次のリンクを)。

1914年、モーズリーは国際会議でこれらの成果を発表すべくオーストラリアへの船旅に出ます。しかし、この会議へと向かう航海の途上で、いわゆる欧州の火薬庫からあがっ た火の手はやがて第一次世界大戦へと発展します。会議からの帰途の航海で軍隊への志願を決めたモーズリーは、その翌年の1915年には、英国陸軍の通信部隊を率いる中尉として現在のトルコにあるガリポリ半島上陸作戦の戦場の真っ只中に身をおいていました。そして、8月10日オスマン=トルコ軍の狙撃兵の放った銃弾が彼の頭部を貫き、帰らぬ人となりました。この戦いの戦況は苛烈を極め、最終的には両軍合わせて十万人以上もの戦死者を出したと言われ、多くの戦死者と共に現在もこの地に眠っているとのことです。 なお、モーズリーは戦地へと赴く際に、もしもの時には遺産を全て王立協会に寄付し、実験物理に役立てるようにとの遺書を残していました。この遺産は後に親族によって増額され、彼の名を冠した奨学金として活かされているとのことです。 ノーベル賞は生きている者にしか贈られないため、充分な成果を遺しながらもモーズリーはその栄誉を受けることはありませんでした。彼の死後10年が経過した1925年、シ ーグバーンが同じX線分光学でノーベル物理学賞を授賞した際に、ノーベル賞委員会はモーズリーの業績に触れ、讃えました。しかし、そうした栄誉よりも生きて研究を続けていたなら、どれほどの成果を残しただろうか?と惜しまれてなりません。

【参考】

モーズリーの法則(1914年)と周期律における原子番号 http://fnorio.com/0141Moseley_1914/Moseley_1913.html

偉人たちの夢(73)モーズリー http://sc-smn.jst.go.jp/C990501/detail/C020501073.html

バーナード・ヤッフェ著(竹内敬人訳)「モーズリーと周期律(元素の点呼者)」河出書房新社

 (8/11追記)American Physical Societyも追悼の記事を掲載していました。 http://www.aps.org/publications/apsnews/201208/physicshistory.cfm

スペクトルを見てみよう!

震災ならびにそれに伴う原発事故以来、「スペクトル」という単語を耳にする機会が増えました。しかしながら、いまだに「馴染んだ」というほど浸透したとも思えません(まあ、知らなければ困る類のものでもありませんが)。そこでちょっと手軽に「スペクトル」を直接目で「見る」方法をご紹介したいと思います。一般にCD分光器として知られるものですが、ちょっとした夏休みの工作の感覚で、家庭にある物で手軽に出来るものです。

 

無論、「見る」ことの出来るのは目で見える光である「可視光」領域の光のスペクトルで、放射線として一般的に測定されるのが下の絵の一番左の方の(すなわち波長が短く、エネルギーの高い)γ線であるのに対し、可視光はちょうど真ん中あたりになります。

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文部科学省放射線副読本中学生用より

用意するもの

  • 歯磨き粉の箱(程度の大きさかこれより大きなもの)
  • いらなくなったCD
  • いらなくなったハガキ
  • はさみ
  • カッター
  • セロテープ(写真に撮り損ねましたw)

 

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 作り方

CDを箱の幅に合う程度に切り、これを30度の角度を付けて箱に収めるように、ハガキで台を作ります。手っ取り早く30度の台を作るには、斜面と高さの辺の比を2:1にすれば簡単です。CDを斜面部分に貼り付け、箱の中に収め固定します。

 

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この「分光器」となるCDの真上あたりに、カッターで観測用ののぞき穴(5mm x 10mm程度)を開けます。

 

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もう一方の端には元から穴が空いているので、その穴を利用してハガキで幅1 mm程度の光を通すスリットを作り、テープで固定すれば完成です。

 

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スペクトルを見てみよう

さて、完成したら実際にスペクトルを観測してみましょう。まずは、太陽の光から。日中に窓の外などの明るい方へとスリットの開いている側を向け、観測用の窓からのぞけばこんな感じ

 

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にスペクトルが見えるはずです(2015年8月4日追記:目を傷めることもあるので、直接太陽をのぞくことは避けましょう)。違いをみるために、続いては蛍光灯の光を見てみましょう。

 

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太陽光のスペクトルが連続なのに対し、蛍光灯の明かりの場合は不連続なスペクトルであり、複数の色の成分からなっていることが良く分かります。

次に、パソコンの画面にこのようなRGBの三原色からなる絵を写し、それぞれの色の部分を見てみることにします。

 

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Wikipedia:RGBの記事より)

 まずは、R(赤)G(緑)B(青)の部分は次のようになりました。

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 液晶のLEDがこの三原色からなっていることの表われですね。

次に、これらの中間である黄色、シアン、アゼンタの部分をのぞいてみると、

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このように、隣接する二色の加色混合でこれらの色が表現されている様子が良く分かります。真ん中の白色を撮り損ねましたが、結果は推して知るべしといったところでしょうか?

 

これら以外にも、コップの中身を変えて透過してきた光のスペクトルなど、応用範囲はまだまだ考えられます。夏休みの工作&実験にひとつ如何がですか?

参考

以下のサイト以外にも、CD分光器で検索をかけると多くのサイトがヒットします。また、DVDでも傾斜の条件を変えることで作ることが可能です。

宇宙少年団:CD分光器 http://www.yac-j.com/labo/list/pdf/5.Experiment/5-10.pdf(PDF)

みんなの実験室:箱の中の虹-分光器をつくる http://www2.tokai.or.jp/seed/seed/minna11.htm